●● 友達ごっこ --- あなたのそんなところ、見たくなかった。 ●●
荷物だけを自分の部屋に押し込め、傘だけを持って外を歩いた。当てもなくぶらぶらと。
どれくらい歩いただろう、気がついたら小さな公園の前にいた。普段だったら子供が沢山遊んでいてもおかしくない時間帯だけど、雨が振っているせいか人の気配は一切無い。
塗装が剥げて鉄錆の剥き出しになった、ジャングルジム、シーソー、鉄棒。そんな遊具の中、妙に自己主張をしていたのがブランコだった。わたしは歩み寄ると、子供用の低いそれに何のためらいもなく腰かけた。スカートからどんどん水が染みていくけれど、あまり気にならない。そうしていると段々傘をさしているのも馬鹿馬鹿しくなってきて、それを閉じると思い切り放り投げた。
雨はどんどんとわたしに降りそそぐ。ブランコの下の地面は、歪んだ楕円形に浅く広く窪んでいるせいで、そこに濁った水たまりが出来ていた。ブランコを前後に揺らすために地面を蹴り上げると、水たまりの水が跳ねて、白ソックスに沢山の斑模様を作った。
ふいに目の前が陰った気がして顔を上げると、そこには哲己くんがいた。傘をこちらに向けて、雨を避けてくれている。
「どうして、こんな所にいるの?」
「ここ、男子寮のすぐ裏だよ。寮に帰ろうと思ったら、永久ちゃんがいたから。……風邪ひくよ?」
「頭を冷やしてるの。……さっきはごめんね。哲己くんは何も悪くなかったのに。確かにわたしが蓮子を強く仕立て上げてるせいで、弱いところは見せられないのかもしれない」
「色々考えたけど、……永久ちゃんは知っておくべきかもしれない。蓮子サンのこと」
「いいよ。だって……約束したんでしょ」
そう言うと、哲己くんは誰に言うでもなく呟き、自嘲するような笑みを浮かべた。
「それに俺、永久ちゃんと蓮子サンには、ちゃんと関わろうって決めたから」
それはわたしの言葉の答にはなってなくて、彼を見つめる。哲己くんは目を逸らして、わたしの手を強引に掴んで、行こうとだけ言った。途中、傘だけは拾わせて貰ったけれど、哲己くんは早足で、ついていくのが大変だ。
繋いだ手は暖かくて、やっぱり大きかった。
哲己くんに連れていかれた先は、わたしの住む寮だった。本当は男子禁制だけど寮母さんは居ないことが多いので、見咎められることはなかった。
エレベーターの中で部屋はどこにあるか尋ねられたので、二階の一番奥と答える。と、哲己くんは焦れたように何度も何度も二のボタンを連打した。
すぐに着いて、殺風景な廊下を通りすぎる。わたしと蓮子の部屋の前に着くと、何度かノックをくり返す。そこでやっと、わたしは彼の目的が蓮子と会うことだったことに気づいた。
「何? 今から子猫ちゃんの所に行くから、用があるなら早くして」
生成りの綿シャツにGパンといったラフな格好の蓮子がすぐに顔を出す。哲己くんは話があるんだ、と言った後、まずは永久ちゃん着替えて来ないと風邪ひくよ、と言った。わたしは急いで着替えた。服を選んでる余裕はなかったので、結局替えの制服にして。更衣の間、蓮子はわたしのことは気にも止めず、どんどんと荷物を纏めていた。
着替えを終え哲己くんを招き入れると、彼は無言のまま蓮子につかつかと歩み寄った。蓮子は何か−−おそらく嫌だという趣旨のことを叫び、彼の腕に噛みつこうとしたけれど、哲己くんの力にねじ伏せられてしまった。それは彼女の服を脱がせようとしているように映り、やめさせようと立ち上がったけれど……それ以上動けなくなってしまった。
袖を託し上げられて露になった蓮子の白い肌……につけられて沢山の傷痕。今日の火傷とは明らかに違う質のものだ。そのカッターナイフで引っかいたような、痛々しいみみず腫れに、わたしは思わず目を逸らす。
「出てって。……二人とも出てって」
蓮子は抑揚のない声でそれだけ言った。
髪を振り乱して、わたしと哲己くんをドアの外へと押し出す。
戸の隙間に手を入れ、哲己くんは必死でそれをこじ開けようとした。
「なんだよ、俺たちは蓮子サンのことが心配で……」
「永久はともかく、今のあんたは、私より永久の方が心配なんでしょ、どうせ!」
「……んだよ、それ……」
「私のことはもう放っておいて!」
哲己くんの力が緩んだ一瞬の隙に、目の前の扉が勢いよく閉じる。呆然としているわたしの耳に、中から鍵を掛ける音だけがやけに大きく聞こえた。
「言われなくても、蓮子サンのことなんてもう知らねーよ!」
ドアに向かって哲己くんは思い切り叫んだ。それでも足りなかったのか、ドアを思い切り蹴り上げる。
力が抜けて、わたしはその場にずるずるとへたり込んでしまう。哲己くんに手を差し伸べられて、何とか立ち上がった。
「あれ、何」
「……蓮子サンが自分で切ったんだ。恋人と別れる度に……」
恋人と別れる度に? じゃあ、今年に入ってからも、もう十数回も自分で自分の腕を傷つけたっていうの? 無意識のうちに、体ががたがたと震え出す。
哲己くんは持っていた傘を思い切り床に投げつけ、歯を噛み鳴らす。
「それにしても、あの蓮子サンの態度! 永久ちゃん、前言撤回。もう彼女には近寄らないほうがいい。あの人に何を言っても無駄だ。深入りしても……永久ちゃんが傷つくだけだ」
「でも……あんなこと、やめさせなくちゃ」
「無理だよ! ……無理に決まってる。本人が変わりたいと思わない限り、絶対に!」
一旦言葉を止め、哲己くんは傘を拾った。そしてわたしの方にまっすぐ向き直る。
「それに俺、……蓮子サン以外のコを好きになったのかもしれない」
一瞬、彼が何を言ったのか分からず、我が耳を疑った。そしてそれを理解した次の瞬間から、怒りがふつふつと湧いてくる。
「酷い、……他の子を好きになったから、蓮子はもうどうでもいいって言うの?」
「そんなことは言ってないだろ」
「今の蓮子にはあなたみたいな人が必要なのに。……もう哲己くんには頼らない。絶対に蓮子にあんなことはやめさせてみせる」
哲己くんに背を向け、わたしはドアを何度も叩いた。少しの間彼は何か言いたそうにしていたけれど、諦めたように帰っていった。
何度もドアをノックしても、ドアノブをまわしても、蓮子は鍵を開けてはくれなかった。仕方なく背を扉に預け、その場にしゃがみこみ、彼女が出てくる時を待った。十数分の後、蓮子はやっと現れた。わたしが立ち上がり、声を掛けると、疎ましそうに眉を顰める。
「……私のことは放っといてって、言ったでしょ? 耳が悪いの、頭が悪いの?」
「……わたしはただ、蓮子にあんなことはやめて欲しくて」
「偽善だね、……吐き気がする」
「偽善だなんて!」
「……本当は怖いんでしょ?」
「怖いよ。でもそれは分からないからでしょ。蓮子のこと分かって、怖さを無くしたいから」
先に進もうとする蓮子の前に立ちふさがり、手で制すると、それまで淡々と話していた蓮子の表情が急に険しくなった。泣き出す寸前のように、顔がくしゃくしゃに崩れる。
「だからそれが偽善なの! ……もうイヤなの、期待するのも裏切られるのも。いつ見捨てられるか不安なんだよ。誰かに見捨てられるくらいなら、私は誰もいらない! 一人の方がマシ」
その時、初めて本当の蓮子を見た気がした。わたしが勝手に強くしてしまった蓮子ではなく、強がりの中に潜む等身大の少女を。人を愛すれば愛するほど、嫌われることや拒否されることを極端に恐れ、自分の方から別れを切り出す。だから、蓮子の恋人はすぐに変わってしまっていたんだろう。自分を変えたくて、でも変われなくて必死でもがいて……。
彼女もわたしと同じだったのかもしれない。
「こてっちゃんだって、私を見捨てた。……あんただって、同じ。いつか私を捨てるんだ」
茫然と呟くような蓮子の言葉に、わたしは目が覚めた。
……そうか、やめさせようと思ったのが間違いだったんだ。だってそれは、わたしの主観を彼女に押しつけ、ありのままの彼女を否定することになるんだから。
蓮子の肩を掴み、彼女の目を見た。けれど、彼女の瞳にわたしの姿は映らない。蓮子の視界に入るのが目標という、いつかの哲己くんの台詞を思い出す。
「わたしは蓮子を見捨てたりなんかしない!」
「そりゃ、言葉じゃ何だって言えるよね」
蓮子はにべもない。
本当の彼女を知った今でも、わたしの蓮子に対する気持ちはちっとも変わっていないのに。それを伝えられる術を持っていない。歯がゆさに唇を思い切り噛む。
「じゃあ、どうしたら伝わるの? だって、言葉にしなくちゃ分からないじゃない。わたしは蓮子が好きだよ? 蓮子のことが大切だよ?」
「自分のことすらままならないクセに、私に指図しないで」
「何、それ……」
「何だかんだ言って、あんたはずっと勲雄って人に依存してるだけじゃん。……そんなヤツの言うことに説得力なんて皆無だよ」
「勲雄と別の学校へ来ただけじゃ駄目なの?」
「自分でこの前言ってたよね。精神的にはまだ勲雄に依存したままだ、って。……そんなんで本当に変わったって言えるの?」
意地の悪い笑みが蓮子の顔に張り突く。
……このままじゃ、いつまで経っても平行線のままだ。
わたしはある決意を胸に、蓮子の手を掴み、力任せにエレベーターへと連れて行く。
蓮子は抵抗したけれど、わたしは離さなかった。その、氷のように冷たい手を。
「何するの!」
「自分のことがどうにかなったら、……勲雄のことに決着をつけたら、信じてくれるんでしょ、わたしの言葉」
「そう……だけど。でも、一体何を?」
「見てて欲しいの。これからわたしがすることを」
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